田沼意次(たぬまおきつぐ)は、江戸幕府の第9代将軍・徳川家重から第10代家治の時代に活躍した政治家です。1772年に老中となり、幕府の深刻な財政難を「商人の力」を利用して解決しようとしました。
それまでの幕府は「農民から年貢(お米)を取る」ことを基本としていましたが、意次は「商業に税をかける」という新しい発想を持ちました。商人たちの組合である株仲間(かぶなかま)を積極的に公認し、彼らから「運上(うんじょう)」や「冥加(みょうが)」といった税金を集めました。
また、長崎貿易を拡大し、俵物(たわらもの:銅や海産物など)を輸出して金・銀を輸入しようとしたほか、千葉県の印旛沼(いんばぬま)の干拓による新田開発、さらにはロシアの南下に備えた蝦夷地(北海道)の調査など、非常にスケールの大きい政策を展開しました。
しかし、1782年から続く天明の飢饉(てんめいのききん)や浅間山の大噴火など、相次ぐ災害で世の中が混乱。意次の政策を快く思わない人々から「わいろ政治」と批判され、1786年に失脚しました。