最澄(さいちょう)は、平安時代の初期に活躍した仏教僧です。近江国(現在の滋賀県)に生まれ、若くして仏教の道に進むと、比叡山(ひえいざん)にこもって厳しい修行と研究を重ねました。
804年、最澄は桓武天皇によって遣唐使に選ばれ、空海と同じ船団で中国(唐)へ渡りました。そこで学んだ教えをもとに、日本で天台宗(てんだいしゅう)を開きました。
天台宗は「法華経(ほけきょう)」を最高の聖典とし、「すべての人間は平等に仏の心(仏性)を持っており、だれでも仏になれる」という教えを説きました。この教えは、後の鎌倉新仏教の開祖たちの多くが比叡山で修行したことから、比叡山は「日本仏教の母」とも呼ばれます。
最澄が亡くなった翌年、比叡山の寺院は朝廷から延暦寺(えんりゃくじ)という名称を贈られました。また、最澄自身も後に「伝教大師(でんぎょうだいし)」という特別な尊称をおくられています。