北条泰時(ほうじょうやすとき)は、鎌倉幕府の第3代執権(しっけん)です。父・義時とともに1221年の承久の乱を勝ち抜き、戦後は京都に設置された六波羅探題(ろくはらたんだい)の初代を務めました。
泰時が最も成し遂げた大きな功績は、1232年に制定された御成敗式目(ごせいばいしきもく)です。これは、武士の社会の慣習をまとめ、裁判の基準をはっきりとさせた日本初の武家法です。これにより、土地をめぐる争いなどが公平に裁かれるようになり、御家人たちからの信頼を勝ち得ました。
また、自分一人の力で政治を決めるのではなく、執権の補佐役である連署(れんしょ)や、有力御家人からなる評定衆(ひょうじょうしゅう)を設置し、話し合いで物事を決める「合議制(ごうぎせい)」を取り入れました。
泰時は非常に人格者としても知られ、質素な生活を送り、民衆や御家人のために尽くした「名執権」として、後世まで高く評価されています。