1889年2月11日、明治天皇から国民へ与える形式(欽定憲法)で、大日本帝国憲法が発布されました。これにより、日本はアジアで初めての近代的な憲法を持つ国となりました。
伊藤博文とプロイセン憲法
政府は国会開設の詔の約束を守るため、伊藤博文(いとうひろぶみ)をヨーロッパへ派遣しました。伊藤は、君主権(天皇の権限)が強い プロイセン(ドイツ)憲法 を学び、日本の国情に合わせた憲法を作り上げました。
- 天皇主権: 主権は天皇にあり、天皇は国の元首として陸海軍を統帥(指揮)するなどの強大な権限を持ちました。
- 臣民(しんみん): 当時、国民は「臣民」と呼ばれ、その権利は「法律の範囲内」という条件付きで認められていました。
- 欽定憲法(きんていけんぽう): 天皇が制定して国民に与える形の憲法であることを指します。