菅原道真(すがわらのみちざね)は、平安時代を代表する学者であり、政治家です。代々学者の家系に生まれ、その類まれなる才能によって、宇多天皇に重用されました。
道真の最も有名な功績の一つが、894年の遣唐使の廃止(白紙に戻そう遣唐使)の建議です。当時の唐(中国)が衰退していたことや、航海が非常に危険であったことを理由に中止を提案しました。これがきっかけで、日本独自の文化である「国風文化」が大きく発展することとなりました。
道真は順調に出世し、ついに右大臣(うだいじん)という高い地位にまで上り詰めました。しかし、家柄ではなく実力で出世した道真を快く思わない藤原氏の藤原時平(ふじわらのときひら)らの陰謀により、「天皇を裏切ろうとしている」という無実の罪を着せられてしまいます。
その結果、901年、道真は九州の太宰府(だざいふ)へと左遷(させん)され、そのわずか2年後に失意のうちに生涯を閉じました。
道真の死後、京都では落雷などの天変地異が相次ぎ、人々は「道真の祟(たた)りだ」と恐れました。のちにその怒りを鎮めるために、道真は「北野天満宮」などに祀られ、現在は「学問の神様(天神様)」として、受験生をはじめ多くの人々に崇められています。