千利休(せんのりきゅう)は、安土桃山時代に活躍した茶人です。堺の裕福な商家に生まれ、豪華さを競うそれまでの茶の湯とは一線を画す、簡素な美しさを尊ぶ「わび茶」を完成させました。
織田信長に茶頭(さどう)として仕え、信長の死後(1582年の本能寺の変)は豊臣秀吉の側近として重用されました。茶の湯は当時の武士にとって重要な教養であり、また政治的な交渉の場でもあったため、利休は秀吉の天下統一(1590年)を陰から支える大きな権力を持つようになりました。
利休は、わずか二畳の茶室「待庵(たいあん)」を作ったり、楽茶碗(らくぢゃわん)という素朴な器を好んだりするなど、独自の美学を追求しました。しかし、晩年には秀吉との関係が悪化し、1591年に切腹を命じられました。その理由は今も謎が多いですが、利休の精神は「茶道」として現代まで受け継がれています。