少路小学校・豊中第十一中学校 専門塾
個別指導ネイバー

トップ歴史人物列伝 > 源義経

歴史人物列伝

源義経

源義経(みなもとのよしつね)は、平安時代末期に活躍した天才的な武将です。源頼朝(みなもとのよりとも)の弟であり、圧倒的な戦術で平氏を追い詰め、滅亡へと導いた最大の功労者です。

義経は幼い頃、父を平治の乱で失い、鞍馬寺へ預けられました(幼名は牛若丸)。その後、奥州(現在の岩手県)の藤原秀衡のもとで育ち、兄・頼朝が兵を挙げると、その軍に加わりました。

彼の名声を決定づけたのは、常識破りの戦い方です。断崖絶壁を馬で駆け下りた一ノ谷の戦い(鵯越の逆落とし)や、嵐の中を強行突破した屋島の戦いなどで平氏を圧倒しました。そして、1185年、山口県の壇ノ浦(だんのうら)の戦いでついに平氏を滅ぼしました。

しかし、戦いの功績を独断で朝廷から認められたことや、あまりの軍事の強さが兄・頼朝に警戒される結果となりました。兄弟の関係は悪化し、頼朝から追われる身となった義経は、再び奥州の藤原氏を頼ります。しかし、秀衡の死後、その子・泰衡(やすひら)に襲撃され、最後は衣川の館で自害しました。

まとめ

源義経のまとめ

  • 源頼朝の弟で、平氏打倒の最大の功労者
  • 1185年壇ノ浦の戦いで平氏を滅亡させた
  • 戦後、兄・頼朝と対立し、全国に指名手配される身となった
  • 最後は奥州(岩手県)の藤原氏を頼ったが、そこで自害した
  • 義経を追うことを名目に、頼朝は各地に守護・地頭を設置した
生徒様へ

「判官びいき」の語源になった悲劇の天才

義経はとにかく「戦の天才」でした。でも、政治の世界では兄の頼朝の方が一枚上手だったんですね。「勝ったから偉い」だけでは通らない歴史の厳しさを教えてくれる人物です。 弱くて報われない人を応援したくなる気持ちを「判官びいき(ほうがんびいき)」と言いますが、これは義経の役職(判官)から来ている言葉なんです。それだけ、当時の人々も「義経はかわいそうだ」と愛していたんですね。歴史を動かした天才の切ない物語として覚えてみてください!

LINEで今の悩みを相談する
保護者様へ

歴史を「点」から「線」の理解へ繋げる。

源義経という一人の人物を学ぶことは、そのまま「鎌倉幕府がなぜ強固な支配を築けたのか」という政治制度(守護・地頭の設置など)の理解に繋がります。 当塾では、代表の20年にわたる指導経験に基づき、単なる名前の暗記に留まらない、背景の因果関係を重視した指導を行っています。豊中十一中や少路小のテストで、深く踏み込んだ問題が出ても揺るがない真の学力を養います。

無料体験授業はこちら