源義経(みなもとのよしつね)は、平安時代末期に活躍した天才的な武将です。源頼朝(みなもとのよりとも)の弟であり、圧倒的な戦術で平氏を追い詰め、滅亡へと導いた最大の功労者です。
義経は幼い頃、父を平治の乱で失い、鞍馬寺へ預けられました(幼名は牛若丸)。その後、奥州(現在の岩手県)の藤原秀衡のもとで育ち、兄・頼朝が兵を挙げると、その軍に加わりました。
彼の名声を決定づけたのは、常識破りの戦い方です。断崖絶壁を馬で駆け下りた一ノ谷の戦い(鵯越の逆落とし)や、嵐の中を強行突破した屋島の戦いなどで平氏を圧倒しました。そして、1185年、山口県の壇ノ浦(だんのうら)の戦いでついに平氏を滅ぼしました。
しかし、戦いの功績を独断で朝廷から認められたことや、あまりの軍事の強さが兄・頼朝に警戒される結果となりました。兄弟の関係は悪化し、頼朝から追われる身となった義経は、再び奥州の藤原氏を頼ります。しかし、秀衡の死後、その子・泰衡(やすひら)に襲撃され、最後は衣川の館で自害しました。