松平定信(まつだいらさだのぶ)は、江戸幕府の第11代将軍・徳川家斉を支え、1787年から寛政の改革(かんせいのかいかく)を行った老中です。8代将軍・徳川吉宗の孫にあたり、吉宗の「享保の改革」を理想としていました。
前の時代の田沼意次が商業を重視したのに対し、定信は農業を中心とした質素な社会に戻そうとしました。飢饉に備えて各地に米を蓄えさせる囲米(かこいまい)の制や、借金で苦しむ武士(旗本・御家人)を救うために借金を帳消しにする棄捐令(きえんれい)などを出しました。
また、人々の考え方も厳しく引き締めました。幕府の学問所では朱子学以外の講義を禁止する寛政異学の禁(かんせいいがくのきん)を行い、武士の道徳心を高めようとしました。
しかし、あまりに厳しい倹約や取り締まりは民衆の不満を買い、「田沼の濁り」を懐かしむような狂歌まで詠まれる始末でした。結局、わずか6年ほどで定信は老中を辞めることとなりました。