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歴史人物列伝

松平定信

松平定信(まつだいらさだのぶ)は、江戸幕府の第11代将軍・徳川家斉を支え、1787年から寛政の改革(かんせいのかいかく)を行った老中です。8代将軍・徳川吉宗の孫にあたり、吉宗の「享保の改革」を理想としていました。

前の時代の田沼意次が商業を重視したのに対し、定信は農業を中心とした質素な社会に戻そうとしました。飢饉に備えて各地に米を蓄えさせる囲米(かこいまい)の制や、借金で苦しむ武士(旗本・御家人)を救うために借金を帳消しにする棄捐令(きえんれい)などを出しました。

また、人々の考え方も厳しく引き締めました。幕府の学問所では朱子学以外の講義を禁止する寛政異学の禁(かんせいいがくのきん)を行い、武士の道徳心を高めようとしました。

しかし、あまりに厳しい倹約や取り締まりは民衆の不満を買い、「田沼の濁り」を懐かしむような狂歌まで詠まれる始末でした。結局、わずか6年ほどで定信は老中を辞めることとなりました。

まとめ

松平定信のまとめ

  • 1787年から、幕府を立て直す寛政の改革を行った
  • 棄捐令を出し、武士の借金を帳消しにして救済を図った
  • 囲米の制を行い、飢饉に備えてお米を貯蔵させた
  • 寛政異学の禁で、幕府の公式な学問を朱子学のみに制限した
  • あまりの厳格さに民衆の反発を招き、短期間で失脚した
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真面目すぎた「正義の味方」?

松平定信は、とにかく「真っ当で正しい政治」を目指した人でした。おじいさんの吉宗を尊敬し、崩れかかった幕府を立て直そうと必死だったんです。でも、ルールを厳しくしすぎると、みんな息が詰まってしまいますよね。 勉強も同じで、「1日10時間やるぞ!」と最初から飛ばしすぎると疲れちゃいます。定信の失敗(?)から学ぶべきは、何事も「バランス」が大事だということ。無理な計画ではなく、続けられるペースを一緒に作っていこう!

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保護者様へ

歴史の流れを「感情」と「背景」で理解する。

田沼意次から松平定信への交代は、日本史における「経済政策の揺り戻し」の典型例です。なぜ真面目な定信が嫌われてしまったのか。その理由を当時の社会情勢と紐付けて理解することは、記述力の向上に直結します。 当塾では、単なる年号の暗記ではなく、歴史のダイナミズムを伝えることで、少路小・豊中十一中のお子様の興味を学力へと変えていきます。20年の指導実績に基づき、一人ひとりに最適な歴史の学び方をご提案いたします。

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