日野富子(ひのとみこ)は、室町幕府第8代将軍・足利義政(あしかがよしまさ)の正室(妻)です。夫の義政が政治を嫌って趣味(東山文化)に没頭するなか、実質的に幕府の政治や財政を動かしたパワフルな女性です。
彼女の名前が歴史に強く刻まれたのは、わが子・義尚(よしひさ)を次期将軍にするための行動でした。当初、義政には跡継ぎがいなかったため、弟の義視(よしみ)を養子にしていました。しかし、その後に富子が義尚を産むと、彼女は「わが子こそ将軍に」と強く願い、山名宗全(やまなそうぜん)を後ろ盾につけました。
この跡継ぎ争いが、管領家の細川氏と山名氏の勢力争いと結びつき、1467年に京都を焼け野原にする応仁の乱(おうにんのらん)へと発展してしまいます。
戦乱の最中、富子は京都の入り口に「関所」を設けて関銭(せきせん)を徴収したり、米の買い占めを行ったりして、莫大な富を蓄えました。このため、後世には「悪女」というイメージで語られることもありますが、背景には、無気力な夫に代わって幕府の運営資金を自ら稼ぎ、荒廃した京都を再建しようとした現実的なリーダーとしての側面もありました。