後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した第82代天皇です。文武両道で知られ、特に和歌の才能は歴史上屈指と言われています。藤原定家らに命じて「新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)」を編纂(へんさん)させたことでも有名です。
当時は源頼朝が鎌倉幕府を開き、政治の実権が朝廷から武士へと移り変わる激動の時代でした。頼朝の死後、幕府の内部が混乱している様子を見た後鳥羽上皇は、朝廷の権威を取り戻そうと考えます。
1221年、上皇は北条義時(執権)を倒すための兵を挙げました。これが承久の乱(じょうきゅうのらん)です。しかし、北条政子の名演説によって結束した幕府軍の圧倒的な軍事力の前に敗北を喫しました。
乱の決着後、後鳥羽上皇は責任を問われ、隠岐島(おきのしま/現在の島根県)へと流されました。幕府は二度と朝廷が反乱を起こさないよう、京都を監視し、西国の武士を統制するための役所である六波羅探題(ろくはらたんだい)を設置しました。