藤原頼通(ふじわらのよりみち)は、平安時代中期に活躍した政治家です。父である藤原道長(ふじわらのみちなが)から権力を引き継ぎ、後一条・後朱雀・後冷泉天皇の3代にわたって、実に50年近くも摂政・関白を務めました。
彼が政治の中心にいた時期、藤原氏による摂関政治(せっかんせいじ)は絶頂期を迎えました。父の代に築かれた「天皇の親戚になって政治を動かす」スタイルを完全に定着させ、平安貴族の優雅な文化を支えました。
また、頼通といえば、京都の宇治に建てた平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)が非常に有名です。当時は仏教の教えが廃れるとされる「末法(まっぽう)」の時代に入ったと信じられており、不安を感じた貴族たちは極楽浄土へ行けることを願って豪華な寺院を造りました。鳳凰堂はその究極の形であり、現在の10円玉のデザインにもなっています。
しかし、頼通の晩年には、娘に皇太子が生まれなかったことなどから徐々に藤原氏の力が弱まり、のちの白河上皇による院政(いんせい)へと時代が移り変わっていくことになります。