最澄は平安時代の仏教僧です。近江国(現在の滋賀県)で生まれ、仏教を学んで比叡山にこもって様々な経典の研究をはじめました。 38歳のときに遣唐使に選ばれ、空海と共に唐へ向かいました。 そして「すべての人間の仏性は平等であり、人はだれでも仏になれる」という天台宗を日本に広めました。 天台宗では法華経を最高の聖典としています。 822年、最澄は病死します。 翌年には比叡山のお寺の名称は延暦寺と改められました。 死後、最澄は朝廷から伝教大師という尊称をおくられました。