平安時代中期、藤原氏は自分の娘を天皇のきさき(妻)にすることで、その間に生まれた子を次の天皇にし、自分たちが天皇の親戚として政治を動かしました。
藤原道長(ふじわらのみちなが)は、娘の彰子(しょうし)を一条天皇(いちじょうてんのう)に嫁がせました。彰子が産んだ子が後一条天皇(ごいちじょうてんのう)として即位すると、道長はその祖父として 1016年 に 摂政(せっしょう) の職に就きました。
道長とその息子 藤原頼通(ふじわらのよりみち) の時期が、藤原氏の全盛期です。彼らは約50年にわたって 摂関政治(せっかんせいじ) を行い、権力の絶頂を極めました。
道長が詠んだ「この世をば わが世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」という歌は、彼の満ち足りた権力の大きさを象徴しています。
重要な役職のちがい
- 摂政(せっしょう): 天皇が子どもや女性のときに、代わりに政治を行う。
- 関白(かんぱく): 天皇が成人した後に、天皇を助けて政治を行う。