藤原純友(ふじわらのすみとも)は、もともと伊予(いよ:現在の愛媛県)の国司(こくし)として、海賊を取り締まる仕事をしていました。
しかし、任期が終わっても京都に戻らず、やがて 瀬戸内海(せとないかい) の海賊たちを味方につけて、自ら海賊集団のリーダーとなりました。
939年、純友は海賊を率いて淡路(あわじ)や讃岐(さぬき)など、西日本の各地を襲撃し、朝廷に反乱を起こしました。ほぼ同時期に東国で起きた 平将門の乱(たいらのまさかどのらん) とあわせて、 承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん) と呼ばれます。
最終的には、朝廷から派遣された追討軍(ついついぐん)によって、大宰府(だざいふ)などで敗れ、滅ぼされました。