663年、朝鮮半島の 白村江(はくすきのえ) で、日本・百済の連合軍と、唐・新羅の連合軍が激突しました。
日本は、当時滅亡しかけていた同盟国の 百済(くだら) を助けるために約3万人の大軍を送りましたが、強大な唐の海軍の前に 大敗してしまいます。
この敗戦により、中大兄皇子(後の天智天皇)は「次は唐と新羅が日本に攻めてくるかもしれない!」と強い危機感を抱きました。そこで、日本の守りを固めるために以下のような対策を急いで行いました。
- 水城(みずき): 大宰府(福岡県)を守るために巨大な堤防と堀を作った。
- 防人(さきもり): 九州の沿岸を警備するために東国から兵士を送った。
- のろし: 敵の襲来をいち早く知らせるための連絡網を整備した。