天智天皇が亡くなった後、後継者争いが起きました。 天智天皇の弟である大海人皇子と、天智天皇の息子である大友皇子との争いです。 672年に起きたこの争いを壬申の乱といいます 大海人皇子が勝って天武天皇となり、大友皇子は自害しました。 その後、天武天皇は自分を中心とした中央集権国家を達成させました。