1592年と1597年の2度にわたって、豊臣秀吉が朝鮮に攻め入った戦争がありました。 この戦争をそれぞれ文禄の役、慶長の役といいます。 豊臣秀吉は織田信長の跡を継ぎ、天下統一を果たしました。 そして日本国内に加えて海外まで領土を広げようと考え、中国の明を支配しようと計画して朝鮮に道案内を要求しました。 しかし朝鮮がこの要求を受け入れなかったので、豊臣秀吉は朝鮮を侵略しました。朝鮮の都である漢城を落とすところまでいきましたが、秀吉の病死により兵を引きあげて撤退を余儀なくされました。