1274年の文永11年に、モンゴル帝国の元軍が対馬・壱岐を襲撃しました。
そして博多湾から上陸してきたのです。
※ 対馬:長崎県の北部
※ 壱岐:長崎県の北西部
元軍は火薬を使い、集団戦法で北条時宗が率いる日本軍を苦しめました。
日本の武士は名乗りをあげての一騎打ちや、少人数での先駆けを試みたため、集団で攻める元軍相手に一方的な損害を受けました。
昼頃には集団戦術に対応することができ、また増援の到着により反撃に転じました。
元軍は博多を占拠したものの、終日の激戦で軍の編成が崩れたため撤退していきました。
この戦いを文永の役といいます。
後の1281年に起きた弘安の役とあわせて、元寇といいます。