1924年、貴族院を中心とした清浦奎吾内閣が成立すると、「政党に基づかない内閣はけしからん!」という批判が高まり、第二次護憲運動が起こりました。
護憲三派の結成
この運動の中心となったのが、以下の3つの政党(護憲三派)です。
- 憲政会(加藤高明)
- 立憲政友会(高橋是清)
- 革新倶楽部(犬養毅)
これらの政党は総選挙で圧勝し、清浦内閣を退陣に追い込みました。
加藤高明内閣の誕生
運動の結果、憲政会総裁の 加藤高明(かとう たかあき) が首相となり、護憲三派による連立内閣が成立しました。これにより、衆議院の多数党が内閣を組織する 「憲政の常道」 という慣例が定着し、1932年の五・一五事件まで約8年間、政党政治が続くことになります。