1792年に根室へ来た ラクスマン から12年後の 1804年(文化元年)、再びロシアの使節 レザノフ が 長崎 に来航しました。
事件の経緯と幕府の対応
- 正式な交渉: ラクスマンが持ち帰った入港許可証(信牌)を携え、皇帝アレクサンドル1世の命を受けて貿易を求めました。
- 幕府の拒否: 半年以上も待たせた末、幕府は「鎖国は祖法(先代からのきまり)である」として通商をきっぱりと拒絶しました。
- ロシアの報復(フヴォストフ事件): 怒ったレザノフは部下に命じ、樺太や択捉島にある日本の役所を攻撃させました。これにより、日露の緊張は一気に高まりました。
この後、幕府は北方防衛をさらに強化し、蝦夷地を幕府の直轄地にするなど、対外的な警戒を強めていくことになります。