1792年、ロシアの使節ラクスマンが根室に来航しました。 海外との交易を控える鎖国体制をとっていた日本に対して、ロシアは貿易を求めていました。 根室は北海道の東の端にあり、江戸幕府の重要な役人は配置されておらず、根室の役人は長崎での交渉を提案しました。 というのも、この当時、外国とやり取りができたのは長崎だけだったからです。 ラクスマンはこの提案を受け入れ、一旦ロシアに帰国することになりました。