3代将軍 徳川家光(とくがわいえみつ) は、1635年 に「武家諸法度(寛永令)」を改定し、大名の義務として 参勤交代(さんきんこうたい) を制度化しました。
この制度により、大名は1年ごとに江戸と自分の領地(国元)を往復することになり、さらに妻や子は「人質」として江戸に住まわせることが決められました。
大名が移動する際には 大名行列 と呼ばれる大規模な行進が行われました。各大名は自分の権威を示すために競って派手な演出を行いましたが、これにかかる莫大な旅費や江戸での生活費によって、各大名の財政は弱まりました。 これが結果として、大名が反乱を起こす力を奪うことにつながりました。
一方で、多くの人々が街道を行き来するようになったため、宿場町が栄え、五街道などの交通網や貨幣経済が発達するという副次的な効果も生まれました。