二度の元寇(げんこう)による恩賞(おんしょう)不足や、生活を救うために出した「永仁の徳政令(えいにんのとくせいれい)」の失敗により、幕府と 御家人(ごけにん) の信頼関係は完全に崩れていました。
この幕府の弱まりを好機(こうき)と見た 後醍醐天皇(ごだいごてんのう) は、天皇中心の政治を取り戻そうと兵を挙げました。一度は隠岐(おき)へ流されますが、脱出して再び幕府打倒を呼びかけます。
これに応じた有力武士の 足利尊氏(あしかがたかうじ) が京都の六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻め落とし、 新田義貞(にったよしさだ) が鎌倉を攻め、 1333年 についに鎌倉幕府は滅亡しました。
源頼朝(みなもとのよりとも)が開いてから約140年続いた武家政治の最初の幕府が終わり、時代は後醍醐天皇による「建武の新政(けんむのしんせい)」、そして南北朝(なんぼくちょう)の動乱へと大きく動いていくことになります。