1274年、モンゴル帝国の 元軍(げんぐん) が対馬(つしま)や壱岐(いき)を襲撃し、博多湾(はかたわん)へ上陸してきました。これを 文永の役(ぶんえいのえき) といいます。
当時の日本は鎌倉幕府の八代執権、 北条時宗(ほうじょうときむね) が指揮を執っていました。しかし、日本の武士が「一騎打ち(いっきうち)」という伝統的な戦い方を重んじたのに対し、元軍は組織的な 集団戦法(しゅうだんせんぽう) を展開。さらに てつはう と呼ばれる火薬武器を使用し、爆音と炎で日本軍を圧倒しました。
初めて見る武器と戦術に苦戦を強いられた日本軍でしたが、夕暮れ時には増援(ぞうえん)の到着もあり反撃を開始。元軍は夜間に船へと撤退していきました。
この戦いは、1281年の「弘安の役(こうあんのえき)」と合わせて 元寇(げんこう) と呼ばれ、鎌倉幕府が揺らぎ始める大きなきっかけとなりました。