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江戸時代のまとめ(後編)

3代目将軍の徳川家光(とくがわいえみつ)1639年に鎖国(さこく)をして、外国との貿易をやめてから約200年後、日本を揺るがす大事件が起きました。 1853年に神奈川県の浦賀(うらが)に、巨大な大砲をもった「黒船」が突如やって来たのです。黒船に乗っていたアメリカ人の「ペリー」が、鎖国をやめて開国するように、日本に要求してきました。外国の力を恐れた江戸幕府はこれを断りきれず、翌年の1854年に日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)を結びました。

そして4年後の1858年にはアメリカ人のハリスがやって来て、その後に井伊直弼(いいなおすけ)日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)を結びました。

こんな不平等な条約を結ばされては、日本国内でも「外国なんて追い払ってしまえ!」と考える人が出てきました。 この考えを「攘夷(じょうい)」といいます。当時の日本で力を持っていた鹿児島県の「薩摩藩(さつまはん)」と山口県の「長州藩(ちょうしゅうはん)」は、攘夷の思想をもっていました。 けれども薩摩藩も長州藩も外国と戦ってから、その強さを知って攘夷は無理だと考えるようになりました。

外国をぶっ倒すのは無理ならば、江戸幕府を倒して「新しい日本を作ろう」と方針変換しました。この考えを「倒幕(とうばく)」といいます。薩摩藩も長州藩も倒幕を目指していたのですが、お互いとても仲が悪く、協力することができませんでした。そんな仲の悪い薩摩藩と長州藩の間をとりもったのが坂本竜馬(さかもとりょうま)です。

歴史年号ゴロ合わせ
いや(イヤ)ごみ(ゴミ)が多いと叫んだペリー  : 1853年に黒船が浦賀に来航
ひどい条約、いや(イヤ)恐(コワ)い      : 1858年に「日米修好通商条約」

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