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戦国時代(後編)のまとめ

豊臣秀吉(とよとみひでよし)プロフィール
■ 農家の生まれで、織田信長(おだのぶなが)に仕えていた。
■ 1582年の「本能寺の変」で織田信長が自害すると、敵を討つために明智光秀(あけちみつひで)を倒した。
■ 豊臣秀吉が天下統一を果たし、1583年に大阪城を建てた。
■ 太閤検地(たいこうけんち)と刀狩(かたながり)を行った。秀吉は兵農分離(へいのうぶんり)を目指した。
※ 太閤検地 : 全国の田畑の面積や収穫高を調べること
※ 兵農分離 : 農民と武士の身分をはっきりと分けること。武士の身分を高くした
■ 2度にわたる朝鮮侵略を行った。「文禄の役(ぶんろくのえき)」「慶長の役(けいちょうのえき)」という

秀吉が死んだ後は、権力を争って大きな戦いが1600年に起きました。東軍の徳川家康(とくがわいえやす)と西軍の石田三成(いしだみつなり)が岐阜県の関ヶ原(せきがはら)で争いました。この戦いを「関ヶ原の戦い」といいます。別名「天下分け目の戦い」

秀吉が病死した後、力をつけた徳川家康を倒すべく、石田三成が以前に秀吉に従っていた大名を集めました。 もともと石田側についていた、武将の小早川秀秋(こばやかわひであき)が家康側に寝返り、それが原因で西軍はみるみる総崩れになりました。戦いは家康の勝利に終わりました。この戦いの後、1603年に徳川家康は江戸幕府(えどばくふ)を開き、権力を握りました。

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