小学生・中学生によくある勉強の悩みを、塾長・立田が解決します。

室町時代のまとめ

鎌倉幕府が1333年に滅亡してから1年後、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)「建武の新政(けんむのしんせい)」と呼ばれる政治を行いました。しかしこの政治は武士の待遇が悪かったため、武士の代表であった足利尊氏(あしかがたかうじ)が反発するようになりました。

後醍醐天皇は奈良県の吉野(南朝)で政治を行い、足利尊氏は別の人物を天皇にして京都(北朝)で勢力を保ちました。この南と北に分かれた2大勢力があったため、「南北朝時代」と呼ばれました。そして南北朝に分かれたまま、1338年に足利尊氏は京都で室町幕府をスタートさせるのです。

室町幕府をスタートさせたのは良かったのですが、南北朝が分かれたままでいるのは困ったものです。そこで3代目の将軍である足利義満(あしかがよしみつ)が南朝を説得して、1392年に南北朝を統一しました。ちなみにこの義満は、日本を代表する建築物である「金閣(きんかく)」を作った人でもあります。金閣は世界遺産にも登録されており、皆さんも観光に行ったことがあるかもしれません。

それだけでなく、義満は『明(みん) ※当時の中国』との貿易にも取り組んでいました。当時は倭寇(わこう)と呼ばれる海賊たちが貿易のジャマをしており、倭寇と区別をするため勘合符(かんごうふ)というお札を使っていました。このため、日明貿易(にちみんぼうえき)のことを勘合貿易(かんごうぼうえき)とも言います。

室町時代には足利義満のような素晴らしい将軍もいたのですが、その一方で「究極のダメ将軍」と呼ばれている人もいました。それが足利義政(あしかがよしまさ)です。彼は政治をしっかりしようとする気持ちが少なく、自分は贅沢な暮らしばかりを楽しんで「酒びたり」な生活を送っていました。政治に関してはヤル気がなかったのですが、遊びや趣味の世界では超一流でした。「銀閣(ぎんかく)」を建てたのは義政です。銀閣は書院造(しょいんづくり)と呼ばれる方法で作られていて、世界遺産だけでなく国宝にも指定されています。

でもやはり政治に関してはダメダメで、義政のせいもあって、1467年に将軍の跡継ぎ争いが原因で「応仁の乱(おうにんのらん)」が起きました。この戦争は11年間も続いたため、京都が焼け野原になってしまったのです。

年号ゴロ合わせ
瞳(ひとみ)爽(さわ)やか室町幕府 : 1338年に室町時代スタート
いざ、国まとめる足利義満      : 1392年に足利義満が南北朝を統一
人の世、むなしい応仁の乱      : 1467年に京都で「応仁の乱」が起きる

「キーワード」

室町時代・建武の新政・後醍醐天皇・足利尊氏・足利義満・金閣・日明貿易 足利義政・銀閣・応仁の乱

無料体験授業ご予約は
06−6170−7555

[このページの先頭へ]