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平安時代(後期)のまとめ

遣唐使(けんとうし)が廃止されてからは、その影響を受けて日本独特の文化が栄えていきました。貴族たちは寝殿造り(しんでんづくり)と呼ばれる住宅に住んでおり、優雅な生活を送っていました。平安時代になると「かな文字」が登場してきます。現在の私たちが使っている「ひらがな」です。このかな文字を使った文学作品で有名なものがありますので、ぜひ覚えてください。

「紫式部(むらさきしきぶ)」が書いた「源氏物語(げんじものがたり)」
「清少納言(せいしょうなごん)」が書いた「枕草子(まくらのそうし)」
「紀貫之(きのつらゆき)」が書いた「土佐日記(とさにっき)」

紫式部(むらさきしきぶ)と清少納言(せいしょうなごん)は天皇の奥さんに仕えていた女性です。この二人はお互いライバル意識があり、紫式部は清少納言の悪口を日記で書いたりしていました。女性同士のねちねちした戦いは、昔からあったのですね。

平安時代というと藤原道長(ふじわらのみちがな)のイメージが強いのですが、彼のような貴族がずっと時代を支配していたわけではありません。貴族同士や天皇家の権力争いをするたびに「武士(ぶし)」が登場してくるのです。最初は権力争いのために使われていた武士ですが、やがて武士の勢力が大きくなっていき、独自の動きをするようになってきました。 当時の武士は「源氏(げんじ)」「平氏(へいし)」の2勢力が力をもっていました。

このうち平氏(へいし)一族の、平将門(たいらのまさかど)は935年に朝廷に対して反乱を起こして、関東地方を制覇しました。これを「平将門の乱(たいらのまさかどのらん)」といいます。その後、彼は他の武士に討たれるのですが、武士の勢力が本格的に強まってきたことがわかりますね。 源氏(げんじ)と平氏(へいし)はお互いに争って、1185年に山口県の「壇ノ浦(だんのうら)」という場所で決着を迎えます。ここで平氏一族は滅亡し、今後は源氏が世の中を支配していくようになります。これが「壇ノ浦の戦い」です。

歴史年号の覚え方 〜ゴロ合わせ〜
・クミコ 935 びっくり!「平将門の乱」    : 平将門の乱が起きる
・平氏が いちいち反抗 1185         : 「壇ノ浦の戦い」で平氏が滅亡する

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