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平安時代(前期)のまとめ

奈良時代の次は平安時代です。794年に桓武天皇(かんむてんのう)が都を京都の平安京(へいあんきょう)に遷しました。ここからが平安時代のスタートです。

桓武天皇は東北に住んでいて朝廷に従わない「蝦夷(えぞ)」と呼ばれる人々を倒そうと考えていました。そこで坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)の位を与えて、蝦夷討伐へ向かわせたのです。

奈良時代に行っていた遣唐使の制度はまだ続いており、唐で留学した2人の僧が日本に帰国後、仏教を伝えました。 最澄(さいちょう)比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)を建てて天台宗(てんだいしゅう)を広め、空海(くうかい)高野山(こうやさん)金剛峰寺(こんごうぶじ)を建てて真言宗(しんごんしゅう)を広めました。 このように成果をあげた遣唐使でしたが、残念ながら894年に菅原道真(すがわらのみちざね)によって廃止されることになりました。ちなみに菅原道真は「学問の神様」とよばれ、福岡にある太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)に祭られています。受験生が合格祈願のために、お守りを買いに行くので有名です。

政治においては藤原道長(ふじわらのみちなが)という貴族が力をふるっていました。大化の改新を行った中臣鎌足の子孫です。道長は自分の娘を天皇と結婚させ、孫を天皇にして摂政(せっしょう)や関白(かんぱく)という役職についたのです。摂政は天皇が子どもの頃に、代わって政治を行う人。関白は天皇が大人になってからも政治を行う人です。このようなやり方を摂関政治(せっかんせいじ)と言います。 力を持っていた藤原道長が自身満々であったため、次のような歌を詠みました。

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」
(この世の全ては私の物だと思う。満月が欠けていないように。)

次回は平安時代の文化と、新たな時代への鍵を握る「武士」の登場を紹介します。

歴史年号の覚え方 〜ゴロ合わせ〜
なくよ 794 うぐいす平安京 : 都が京都の平安京に遷る。平安時代のスタート
白紙 894 に戻そう遣唐使 : 菅原道真が遣唐使を廃止

平安時代(前期)の「キーワード」

平安京・桓武天皇・最澄・空海・菅原道真・藤原道長・摂関政治

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