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奈良時代のまとめ

飛鳥時代の次は奈良時代です。645年に「大化の改新」を行った中臣鎌足(なかとみのかまたり)は後に藤原鎌足(ふじわらのかまたり)と名前が変わり、彼の息子である藤原不比等(ふじわらのふひと)が中心となって710年に奈良に平城京(へいじょうきょう)を建てました。ここからが奈良時代のスタートです。

奈良時代の人々の生活はひどいもので、重い税のために貧困にあえぐ者が多かったのです。当時、約4500もの歌を集めた「万葉集(まんようしゅう)」にはその辛い生活ぶりが書かれています。その中でも特に有名なのが山上憶良(やまのうえのおくら)という身分の低い貴族が詠んだ「貧窮問答歌(ひんきゅうもんどうか)」です。 あまりにも税が重くて、自分の田んぼを捨ててしまう人が多かったため、
723年に「三世一新の法(さんぜいっしんのほう)」
743年に「墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいのほう)」ができました。

一般市民だけでなく、天皇一族にも不幸が多かったのです。伝染病も流行って天皇の親戚たちが次々に亡くなり、たびたび起こる災害にも悩まされていました。この災いをなくしてほしいという願いから、聖武天皇(しょうむてんのう)は仏教の力を借りることにしました。全国に国分寺(こくぶんじ)国分尼寺(こくぶんにじ)を建て、さらに奈良の都に東大寺(とうだいじ)を作り、大仏を建立しました。奈良の大仏さんです。

この奈良の大仏さんを建てるのに協力してくれたのが行基(ぎょうき)というお坊さんです。以前、聖徳太子小野妹子遣隋使として中国に送りましたが、この時代にもそれが行われていました。このとき中国は唐(とう)という名前で、遣唐使(けんとうし)が外国文化を勉強するため日本から唐へ送られていたのです。その中で特に優秀であった人物が阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)で、彼は留学してから唐で役人となり、一生を終えました。

逆に唐から日本に来た人物もおり、それがお坊さんの鑑真(がんじん)です。日本に来て仏教を広めようと考えていましたが、当時の船旅はとても危険なもので、何度も来日に失敗していました。その中で彼は失明してしまうのですが、苦労の末に日本に来てからは唐招提寺(とうしょうだいじ)というお寺を建てました。

歴史年号の覚え方 〜ゴロ合わせ〜
・なんと 710  見事な平城京         : 都が平城京に遷る
・なにさ 723  土地を子に孫に伝えよう  : 三世一新の法
・土地を返すのは なしさ 743         : 墾田永年私財法

奈良時代の「キーワード」

平城京・山上憶良・聖武天皇・東大寺・行基・遣唐使・鑑真

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