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旧石器時代〜縄文時代

新小6の生徒さんのために、歴史を時代ごとにポイントを絞って紹介していきます。話が細かくなりすぎないように、大まかな内容を紹介していきます。小学生の教科書では「弥生時代」からスタートしていますが、今回はそれよりも以前の「旧石器時代」〜「縄文時代」について。

今から数百万年前、南アフリカで最も古い人類「アウストラロピテクス」が存在していました。彼らは石を打ち割って作った「打製石器(だせいせっき)」を使って、採集・狩猟をしていたのです。この時代を「旧石器時代」といいます。

日本ではナウマンゾウやオオツノシカが生息しており、長野県の野尻湖でそれらの化石が発見されています。また、群馬県で「岩宿遺跡」が発見され、当時の日本にも人類が住んでいたことがわかりました。

旧石器時代には寒い時期(氷期)とあたたかい時期(間氷期)が繰り返されていましたが、その氷期も終わりを告げて、今から「約1万2千年前」ごろに新たな時代が始まります。 この頃の人々は、土をこね・焼き上げて土器を作るようになっていました。その土器には縄目の模様がついているので「縄文土器(じょうもんどき)」と呼び、この時代を「縄文時代(じょうもんじだい)」といいます。

これまでは石を打ち割って作った「打製石器」を使用していましたが、それに加えて石器を磨き上げて性能をアップさせていくようになりました。これが「磨製石器(ませいせっき)」です。他には弓矢なども作られました。 縄文時代の人々は土器や弓矢を作ることによって食糧の確保が安定したため、家を建てて住むようになりました。 地面に穴を掘り、柱を立てて草で屋根を作った「竪穴住居(たてあなじゅうきょ)」で生活を営んでいました。

当時の人々が使っていたゴミ箱を「貝塚(かいづか)」といい、日本で最初に発見されたのは東京にある「大森貝塚」です。モースというアメリカ人によって発見されました。 青森県で縄文時代の巨大な遺跡が発見されました。これが「三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)」です。 縄文人は竪穴住居1つに5〜6人が住んで、十数個の住居に集落を作っているのが一般的でした。しかし、この三内丸山遺跡においては最低でも250人が生活しており、通常の10倍以上の規模であったのです。これまでの縄文時代のイメージを一新させるような巨大遺跡ということです。

遺跡の中からは「土偶(どぐう)」という、人の形をした焼き物も発見されました。その目的はよくわかっていませんが、健康回復や獲物の増加を祈って作られたと言われています。

代表・立田の「眼」

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